家猫とサボテン

家猫とサボテン

生きづらい人生ですがなんとなく生きていきます

「献血ポスターが過度に性的である」件。【表現の自由とリテラシー】

この前、DT仲間だと思ってた人に実は彼女がいたことが判明して、しかも卒業までしていたと聞いて、生きるのが辛くなりました。

 

テレビで最近の若者の間ではマッチングアプリが主流になっていることがニュースになってて、おれもやるかぁなんて思いました。

 

親世代はマッチングアプリに否定的で、「子どもがマッチングアプリで出会った人と結婚したいと言ってきたら、断固反対する」と街頭インタビューで言っていましたが、うちの親もそう言うのでしょうか。

 

言ったとしても、関係ないけど。

もう親の言うことなんてあんまり聞く気ないし。

 

なんてね。

 

 

独りの自由

 

僕は独りが好きだ。

 

祝日に大学に来て、唯一空いてる自習室の一番前の席で音楽を聴きながらブログを書いている、そんな時間が好きだ。

 

人混みは苦手だけど、かと言って誰かといるのが辛いってわけでもない。

普通に友達と飲むのは楽しいし、恋人もほしい。

 

けど、誰にも邪魔されない自分だけの世界に浸れるっていうのは素晴らしい。

 

意見の対立もなければ馬鹿にもされない。

何を考えてもいいし、どう思ったっていい。

 

ある意味完全なる自由だ。

 

ネットの不自由

 

独りの自由とは反対に、ネットの海っていうのは拡張現実で、あることないこと浮かんでいる。

 

何気ない独り言が攻撃の的になるし、自分の価値観を認めない人がいる。

 

それは逆も然りで、知らずのうちに自分が誰かを傷つけてしまうこともあるのかもしれない。

 

傷つけないように気をつけることはもちろん大事だけど、悪意を持って他人の世界を壊そうとする者を気にしない、スルースキルはそれ以上に大事。

 

Twitterは僕の知る限りもっとも大きくて低俗な場所。

 

そこではお互いの価値観を認めずぶつけ合って壊し合っている馬鹿者がたくさんいる。

 

最近は全く炎上してない事象をさも炎上しているかのようにツイートすることで印象操作をしている人までいる。

 

だけど自分に噛み付いてきた人に噛みつき返すと、途端に自分も同じレベルの馬鹿にまで堕ちる。

 

言いたい奴には言わせておけばいい。

いつか見返してやるって思えるから。

 

自分が正しくて間違ってないんだっていう証拠を、個人にではなく世の中にに叩きつけてやればいい。

 

そこまでしても理解できないほど、民衆はアホじゃない。と信じたい…。

 

ネットリテラシーって大事。

 

宇崎ちゃんポスター

 

なんでこんな話をしようと思ったかというと、最近話題になっている、一枚のポスターが原因。

 

日本赤十字社による『宇崎ちゃんは遊びたい!』という漫画とのコラボポスターが、過度に性的であると指摘されている。

 

僕は宇崎ちゃんについて詳しく知らないのであまり踏み込んだ話はできないけど、思ったことだけ。

 

このコラボキャンペーンは10月1日〜31日に関東7都県で行われていて、献血に参加するとポスターと同じイラストのクリアファイルがもらえる。

 

このイラストが最初に問題視されたのは10月14日で、アメリカ人男性が新宿駅構内に貼られていた宇崎ちゃんポスターが過度に性的であるとツイートしたのが発端だそう。

 

 

いわゆるツイフェミというのは特定の層からとても嫌われていて、今回も太田啓子さん(特定の層からツイフェミ認定)が関わったことで話がややこしくなった。

 

純粋に女性の権利向上としてのフェミニズムは強く支持するけれど、単に自分たちの気に入らないものを貶める行為はフェミニズムとは程遠い。

 

今回の件がそれに当てはまるかというと微妙で、賛否両論あるのは確かにわかる。

が、献血を呼びかけるポスターとして、宇崎ちゃんポスターは実際に効果がある。

 

コミケ献血所を設置すると通常の1.7倍の献血が集まったという話もある。

いつもの1.7倍献血者が集まる!「コミケ時の献血バス」の実態を日赤に聞いてみた (2017年4月30日) - エキサイトニュース

 

で、問題はゾーニングな訳だけれど、今回の騒動を受けてすぐ都心の献血所を巡ってポスターを確認して回った猛者がいる。

 

 

彼によると、大衆の目につくところにはポスターはなかったそう。

 

そもそも(特に都内では)献血ルームの多くは高層ビルの上階に設置されていることが多くて、あまり人目につかない。

 

最初にアメリカ人の方が見かけたポスターは新宿駅の地下ということだが、人目につく場所なのか本人は語っていないので確証はなし。

 

近くを通ってポスターを見かけた人は実際にいるが、献血ルームの前ということなのでそりゃポスターあるよね。

 

必要最低限のゾーニングはできていると僕は思う。

 

では問題はやはりイラストの内容なのか?と考えると、それは賛否両論で結局議論は堂々巡りだ。

 

宇崎ちゃんは漫画の中では巨乳キャラらしいので、巨乳キャラを巨乳に描かないというのはアイデンティティの喪失になるのでありえない。

 

じゃあ胸が大きいキャラを公共広告に使うのがそもそもの間違い、ということになる。

 

そういう主張ならそれはそれでアリなので、自信を持って電凸なりなんなりすればいい。

(クレーム処理で余計な仕事を増やすだけだと思うけど)

 

ポスターの掲出を一切許さない!というのなら、結果潜在的献血者がいなくなることに繋がるし、ゾーニングせよ!というのはさっきも書いた通り筋が通らない。

 

世の中の間違ってると思うことを自ら主張することは素晴らしいことだと思うけれど、こと宇崎ちゃんに関しては、「それはあなたの感想ですよね?」と言わざるを得ないというのが僕の感想。

 

フリをした悪魔

 

経緯について長く書きすぎてしまった気もするが、必要なことなので仕方なし。

 

宇崎ちゃんポスターはあくまで一例で、世の中には正義のフリをして無自覚に悪事を働く人がいる。

 

それはフェミニストのフリをしているかもしれないし、善良なアニメファンのフリをしているかもしれない。

 

ネットの海とはそういう人たちが蔓延るにたやすい場所なのだ。

 

バックグラウンドは見えないし、本心も隠せる。

 

宇崎ちゃんポスターを不快に思う女性に対して「嫉妬かよwwダサwwww」と嘲笑うオタクを僕たちは許してはいけないし、逆もまた然り。

 

僕だってあのポスターがちょっと過剰だとは思うし、もっと適切な書き方は確実にあったはずなのにGoサインを出したのは悪いと思う。

 

でも『宇崎ちゃんは遊びたい!』という作品まで攻撃するのはお門違い。

 

世の中にはそれが大好きな人もいることを忘れちゃいけない。

 

と同時に、ポスターに不快感を感じる人がいるのもまた事実。

 

双方の立場を反復横飛びしながら自分の意見というのを作り上げてほしい。

 

表現の自由」で何もかもが許されるわけではないし、リテラシーは観る側・作る側どちらにも必要。

 

何事にも思いやりを持ちましょうね、というのがありふれてはいるけど僕なりの結論。

 

主語クソデカ批判おじさんにならないように、気をつけます。

 

 

おわり