家猫とサボテン

家猫とサボテン

生きづらい人生ですがなんとなく生きていきます

お前は頑張れ!!【やる気が出ない僕へ】

麻薬がやりたくなる気持ちはなんとなくわかる。

息抜きしたいって僕らが思うように、激しいストレスに日々曝されている人たちはどこかに安楽を求めるのかもしれない。

 

実際僕もMDMAが一錠4000円って聞いて、それで一時でも幸せになれるならアリだなぁなんて思ってしまった。

 

友達と飲みにいってストレスを発散したり、山に登って現実逃避してみたり、やってることは麻薬と一緒。

依存だってするし、下手したら死ぬ。

 

それらが合法か違法かの境目って、一体なんなんだろう。

 

 

卒論が進まん!!

 

僕のゼミはけっこうハードで、前期のうちに卒論を一旦書き終えてしまおうというなかなか無茶するゼミでした。

 

なのですでに字数は基準を満たしていて、あとは中身をブラッシュアップするだけ。

 

…というのに、ここにきてどん詰まりです。笑

 

実証分析では、内生性というものをコントロールしなくてはいけません。

 

a+b=cという式の中に、実はb=d+eという隠れた要素があった場合、もともと明らかにしようとしていたaとbの値がズレてしまって、結果cまで間違うことになります。

 

このような隠れた要素まで明らかにしようというのが実証分析なわけで、その課題をクリアするのが予想以上に大変だ、というお話です。

 

僕はその内生性をコントロールするためのモデルを組んで実際に計算したら、推計値の有意性が失われてしまいました。

つまりは、aやbを計算しても、本当にその答えが合ってるかどうかの判断ができないってことです。

 

そんな半端なものをエビデンスと言うわけにはいかないので、詰まるところ僕の卒論は無意味ということになってしまいます。

 

さすがにそれは嫌なのですが、なかなかやる気が起きん。

 

周りのゼミ生はある程度順調そうで、内生性のコントロールもうまくやれてそうでした。

 

他人と比べるのはどうかとは思うけれど、前期までは一番やれてると思っていた分痛烈なしっぺ返しを食らったような気分です…。

 

無敵の人とソーシャルキャピタル

 

ここまで人生に嫌われて生きる気力が失われてしまった今、何したってよくない?と思ってしまうようになりました。

 

もちろん実行に移すまではいかないけれど、大学で飛び降り自殺すれば大学の人困るだろうなぁとか、銀行強盗して一日豪遊して身投げでもしようかとか、馬鹿みたいなことが頭をよぎります。

 

こういうの、無敵の人って言うんですよね。

 

なんか「人から優しくされてこなかった」っていうのがそうなってしまう原因の一つで、そういう人たちを支えてあげる社会っていうのがあったらいいなぁと、無敵の人寄りの立場で考えるとそう思います。

 

逆にある程度優しくされてきた無敵の人予備軍的なポジションの僕の考えとしては、「優しくされない=かまってもらえない」がほぼ成り立っていて、自分から人とのつながりを作ろうと思わないと僕らの生きづらさはなくならないのかなと感じます。

 

これを自己責任論とは捉えてほしくなくて、「人とのつながり」は「ソーシャルキャピタル」という言葉で学術的にも重要視されることがあります。

 

働かなくては食べていけないように、自分から人に接していかなければソーシャルキャピタルは育まれないのです。

 

そしてその過程を制度やシステムを介してサポートするのが社会の役割です。

 

全く努力しないで幸せになれるなんて虫のいい話はなくて、「努力できるようにサポートしてあげること」が大前提の上で、誰もが頑張れば幸せを掴めるような世の中になればいいなぁ。

 

お前は頑張れ!!

 

いろいろ書きましたが、「努力しないで幸せになりたいなぁ」と日々考えている僕が言っても全く説得力のない話であります。

 

「こっち側」の僕だからこそ思うことはあって、正論だとも思うんだけど、残念ながらこっち側から政治を変えることはできません。

 

いつだって世の中は「あっち側」の人間が治めてきました。

 

誰かが革命を起こしてくれさえすれば、乗っかる勇気はあるのになぁ。

(=誰かが革命を起こしてくれないと何もする勇気がない)

 

そんな僕に捧ぐ言葉が、

 

お前は頑張れ!!

 

です。

 

なんともしまらんオチだなぁ。

 

 

おわり